45『これからの課題』 一つの高い壁を乗り越えた先には、山が見えた。 彼等の前に続いている道は、真直ぐその山に伸びている。 そしてその道自体、歩くことが決して簡単ではないでこぼこな道だった。 しかし彼等は足を一歩踏み出すことに迷いはなかった。 困難な道を歩いて行くことに、躊躇はしなかった。 高い壁を乗り越えた時に絶えず進んで行くことを決めたから。 最後まで歩み抜くことを誓ったから。 ふと気が付くと歌のようなものが聞こえてきた。その旋律は優しく、つい目が覚めているのにも関わらず、目蓋をあけるのを忘れて、その歌に聞き入った。そのうちにその旋律が聞き覚えのあるものだと気が付いた。それは旋律はともかく、その歌詞を知っている人間は自分を除くと、一人しかいない。 フィラレスは、ぱちりと目を開け、首を動かしてその歌い手を盗み見た。 「お、起きたのか?」 その視線の先には、彼女が思い当たった通りの人物がいた。栗色の髪に、一見地味だが印象的なエメラルドグリーンの瞳、そして実際の年齢よりかなり若く見える童顔を持つ青年、リクが果物の皮を剥く手を止めて、フィラレスの顔を覗き込んでくる。 彼が毒に倒れた時以来、初めて合った目に、フィラレスは頬が紅潮し、熱が帯びて行くのを感じた。 リクは、フィラレスの顔色に異常がないことを確認したのか、一旦視線を外して急いで皮を剥ききり、果物をナイフで二つに割って、片方をフィラレスに差し出す。 「腹減ってるだろ? 夕飯までもう少し時間があるから、つなぎに食っとけよ」 フィラレスはこくりと頷くと、差し出された果物を受け取って、おずおずと一口かじった。甘酸っぱい果汁が口の中に広がり、空腹と同時に感じていた渇きも癒してくれる。じっくり味わって、飲み込むまでを見守っていたリクが小さく笑って言った。 「今日は、クーデターの翌日の夕方だ。あのクーデターは失敗に終わった。みんな頑張って止めたんだ。……俺も少しだけ手を貸したんだけどな」 昨日の事を思い出しているのか、果物をかじりながら少しフィラレスから視線を外した。 そして、昨日全てが終わった後、カーエス達から聞いた事情をフィラレスに話して聞かせた。 「あのディオスカスって奴も、結局自分の夢を叶えるための行動をしただけなんだよなぁ。ただ、それは結果的に魔導研究所の人達の夢を壊してしまう事で、受け入れられないことだった。だからみんな闘った」 それは夢同士が矛盾していたから、それらがぶつかった結果だ。そんな時は何らかの形で闘って、どちらかが壊されるしかない。 「今までは、そんなことを気にしたことはなかったんだけど、これからはそうもいかねぇだろうなぁ」 リクの旅の目的は大災厄を滅ぼすことだ。そのためには“大いなる魔法”を探し出さなければならないらしい。そして“大いなる魔法”を狙っている者はそれこそ五万といる。大きな夢だけに、それを本気で狙う者達の想いは強い。 「それを砕いて行くのは、ちと気が引けるが……俺が夢を諦めるわけにはいかねぇ。そのへんは覚悟しとかなくちゃな」 リクは最後に残った果物の芯を、部屋の隅のクズかごに向かって投げた。それは綺麗な放物線を描き、どこに触れることもなくクズかごの中に落ちる。そして再びフィラレスに視線を戻した。 視線が合ったまま、しばらく間が開いたあと、リクはフィラレスに小さく笑いかけて言った。 「ありがとな」 明らかに自分に向けられた感謝の言葉に、フィラレスは目を丸くする。 「フィリーが救ってくれたんだろ? 俺の命が危なかった時」 昨日、ダクレーの毒に倒れたリクを癒すために、行動したカーエスとジェシカだったが、ディオスカス派の妨害に遭い、ジッタークの指定した赤の刻(午後三時)までには間に合わなかった。 しかし、リクを死なせたくない一心で横笛を吹いた。そしてその笛の音に乗せられた想いは“滅びの魔力”を発動させ、全てを破壊する力は一人を癒した。 「あの時、歌が聞こえたんだ。あれはフィリーの声だったんだよな? 優しくて、綺麗な声だった」 実際は歌っていない、口の利けないフィラレスは歌えない。ただ、歌詞を込めるつもりで夢中で横笛を吹いていた。 あの時ほど歌いたかったことはない。あの時ほど自分の声が出ないことを呪ったことはなかった。自分の声で、“死出の道”にいるリクを呼びたかった。 しかし、フィラレスは歌えていたのだ。ちゃんと彼女の声はリクに届いていた。 「ありがとな」 再び、発せられたリクの感謝の言葉。それはやけに胸に染みて、その胸からは何らかの感情が込み上げてくる。 呪わしい、破壊以外に何も出来ない力だと思っていた。 ずっと、罪だけを重ねて生きて行くのだと思っていた。 力を使ってお礼を言われることなどないと思っていた。 できるのはこれ以上人々を傷つけないように、自分ごと消えてしまうことしかない。そう思って、今まで生きてきたが、きちんと制御をすれば、人を助けることもできるのだ。 自分には、生きていてもいいのだ。 嬉しい。 その感情に合わせて目に込み上げてきた涙が今、こぼれ落ちようとした時、リクが突然微笑みながらフィラレスを指差した。 -------フィリーは笑顔の時が一番可愛いんだからな。 蘇ってきた記憶に、フィラレスは顔を紅潮させ、顔を綻ばせる。 すると、リクは彼女を指差していた手で、フィラレスの頭を軽く撫でて言った。 「そうそう、その笑顔だ」 ***************************** 部屋から食堂に降りてきたリクとフィラレスを迎えたのはいつもの三人だった。夕食はクーデターの解決祝い、ということでジッタークの西方料理店『オワナ・サカ』で食べることになっていた。そして、そこに皆で行くために、食堂で待ち合わせをしていたのだ。 「ん?」「フィリー!?」「フィリーさん、起きたんスか?」 フィラレスの思わぬ登場に、三者三様に驚きを表した三人に、リク達は食堂の中に入り、とりあえず彼等に歩み寄った。 「ああ、ついさっきな。これからジットのとこに飯を食いに行くんだろ? フィラレスも丸一日何も食ってねぇ状態で腹減ってると思うし」 リクの説明に、隣でフィラレスがこくこく頷いて肯定する。 なかなか目を覚まさないので、今回の夕食会に彼女が加われない、と諦めかけていたカーエスの顔がぱっと明るくなりかけたが、その表情はすぐに曇り、心配そうに言った。 「腹減ったって、そんないきなりまともなモノ食うてええんかな?」 「大丈夫でやしょう、たかが一日寝てただけで胃がどうにかなったりはしやせんでしょうし、ジッタークさんも食事に関しては何も言わなかったじゃないスか」 エンペルファータのクーデターが終結を迎えた後、フィラレスはどう見てもただ眠っているだけだったが、一応、ということでジッタークの診察を受けている。その結果は、やはり眠っているだけで暫くすれば目を覚ますだろう、ということだった。凄腕の魔導医師として有名だったジッタークの言葉だ、信用してもいいだろう。 そのジッタークは、昨日の内にクーデターで出た怪我人の診療を全て済ませ、自分の店の方に戻っている。 「ああ、せやな!」と、コーダの言葉に、カーエスは今度こそ表情を輝かせた。 一同が揃って住居・宿泊施設棟から中央ホールに向かっていると、中央ホールの方から多数の人間によるものと思われるざわめきが聞こえてきた。何の騒ぎかと顔を見合わせて中央ホールに入ってみると、大勢の人間が真ん中にいる見覚えのある女性に詰め寄っているところだった。 「頼むって、ティタさん!」「私はあなたがいい!」「あんたならできる!」「どこまでもついていきます!」「俺ァ、あの演説に感動したんだ!」「一人でやれなんて言わない!」「私達も手伝うから!」 『ぜひ、研究所の新しい所長に!』 なんと、この大勢の人々は、ティタに次の魔導研究所長になってくれと頼みに来ているのである。 話を聞いてみると、クーデターの最後を飾ったリクとグレンの闘いの直後、ティタがリクに言った言葉が、魔導研究所の人々を感動させたらしい。その時、研究部員のほとんどはクーデターに加担した魔導士達によって眠りについていたのだが、残っていた少数の者達や、市民が抜け目なく記録していたらしい映像でその演説を見たのだという。 -------『夢は、壊して砕けるような“カタチ”じゃない』。“英知の宝珠”が砕かれても、アタシ達の夢が壊されたわけじゃないんだろ? 夢を見るアタシ達はここにいる。その事実が変わらない限りはアタシ達の夢は終わらないさ! -------“英知の宝珠”が無くなったのは痛いけどね、あれは元々アタシ達が創ったものさ。壊されたなら、もう一度創る! 少しくらい足留めされても、後ろに下がらなくちゃいけなくても、前を向いて足を進め続ける! それが夢を見ることで一番楽しい事なんだって言ったのはアンタじゃないか。 -------魔導研究所の一つや二つ、すぐに蘇らせてみせるさ! ここにはエンペルファータ三万の市民の夢が詰まってるんだからね! これらの言葉は、市民ではなく、リクに向けられたものだが、クーデターによって乱された研究所の未来に不安を抱く人々の心に明かりを灯した。今、研究所の人々は今回の事で失った大きなものを取り戻す為に、必要な気力を支えられる言葉を持つ者が必要としているのだ。 詰め寄られているティタはというと珍しくも困惑した様子を見せていた。 「そんないきなりいわれても困るよ。第一指導者なんて柄じゃないし」 「いや、ティタさんなら大丈夫!」「私達が保証するよ!」「あんたの迫力は十分リーダー向きだって!」 “無知なる大樹”を背にし、これ以上後退出来ないにも関わらず、ティタはそれでもできるだけ後ずさり、大樹の幹にぴったりと背を付けている。 「い、いやでも、そう、ほら! まだ行政部長のエイスさんがいるじゃないさ。アタシは一介の研究者に過ぎないし、いきなり所長になったりしたらそっちのほうから波風が」 「私は別に構わないと思っているが?」 ティタの声を遮るようにしていったのは、当のエイスである。リク達と同じように、ちょうど研究・開発室棟からミルドと連れ立って出てきたところらしい。 「というより、むしろ私も次期所長には君になって欲しいと思っている。私も、君の演説を聞いて心に触れられた者の一人だからね」 エイスの言葉に押されたように、人々はますます声高にティタに詰め寄った。ティタは助けを求めて、その隣にいるミルドに視線を投げかけるが、ミルドは苦笑して肩を竦めるばかりだ。確かに、ここはミルドあたりがどうにか言ったからといって退くような勢いではない。 彼女は必死で視線を彷徨わせていると、住居・宿泊施設棟の入り口あたりにリク達が立っているのが見えた。 「か、考えとくから、今日はこれくらいにしてくれないかい、これから約束があるんだ」と、ティタは逃げるように詰め寄る人々をかき分けてリク達の方に進む。そして、面白気に事態の成りゆきを眺めているリク達の後側に回ると、彼等を盾に研究所の出口へと移動した。エイスとミルドもその後を追う。 その背後で、研究所の扉が閉まるまで、「きっとだよ!」「期待していますよ!」という声が投げかけられていた。 ***************************** 「はあ……、偉い目に遭ったよ」と、普段の彼女では見られないくらい憔悴しきった顔でティタが漏らした。 「ははは、皆がなれって言ってるんだから、なればいいのに。俺はティタを所長にするってのはいい考えだと思うけどな」 珍しいティタの姿を面白そうに見遣りながらリクが言った。 「そうそう、柄やないいうても、もともと研究班の主任でリーダーシップをとるのには慣れとるし、面倒なことや分からんことはエイスはんに聞けばええと思うし」 「私も同感です。貴女なら、戦闘能力さえあれば魔導騎士団の一個師団でも率いられる」 折角あの民衆の中から逃げ出すことに成功したと言うのに、続いてリク、カーエス、ジェシカまでも奨められたので、ティタはさらに消沈した。 その様子を横目で見ながら、エイスが言う。 「これはからかいや、冗談の類いではない。本気で考えて欲しい事なのだ」 その表情は、面白がっている節もある他の面々に比べると、随分と真剣な表情だった。 「我々は現在、今までにない量の問題を抱えている。それらを解決できるのは、私のような者ではない」 「そういや、あの後のことはどうなってるんだ?」 そこに、リクが口を挟んで尋ねた。リク達は闘いが終わった後は、ゆっくりと身体を休めていただけなので、あの事件の後をどう処理して行っているのかわからない。 所長であるアルムスがディオスカスに殺害されてしまったため、事後処理に奔走しているのは、それに代わって臨時的に魔導研究所を取り仕切っているエイスだった。 「まだほとんど手付かずだが、とりあえず“ラスファクト”《テンプファリオ》は元のように“セーリア”の本体に戻した。それから、“英知の宝珠”は“復元の壷”に入れて現在修復中だ」 「えっ?」 その報告に、最も大きく反応したのはリクだった。気にするな、とティタは言ったが、それでも彼は魔導文明の結晶とも言える魔導器を守りきれなかったことに責任を感じていたのだ。 「直るのか?」 「一応、アレも魔導器だし、現場に破片は全部残っていたからな。無論市販もされているものではなく、精密な魔導器専用の特別な“復元の壷”を使用しなければならない上、記録されていた知識が全て戻る可能性は低いが、ほぼ元の状態までに復元できるだろう。ものがものだけに、一ヵ月近く時間は掛かるだろうが、な」 非常に特別な魔導器であるため、砕かれたり破損したりするともう元に戻せないと思っていたので、リクとしては非常に意外な報告だった。幾らかは知識が損なわれるにしても、一から創り直すよりは遥かに楽だろう。下手をすれば完全に失われるところだった知識が、取り戻せると聞いてリクは大きな安堵を覚えた。 「クーデターに加担した者達はどうなったのですか?」 ジェシカの質問にエイスはうむ、と頷いて答えた。 「クーデターのみならエンペルファータ内でカタが付いたのだが、彼等が狙っていたのはウォンリルグの亡命だ。これは非常に国際的な問題になってしまうため、取り調べのためにフォートアリントンに送られた」 昨日の今日ですでに移送されているという非常に迅速な対応に、一同が目を丸くするが、ディオスカス達が亡命先に選んだのはウォンリルグであるという事が問題だった。 この国はつい最近、フォートアリントンでの定例国際会議に無断欠席し、フォートアリントンからウォンリルグの首都・ヴェアレンティアに続く移動用魔法陣がウォンリルグ側から封印、もしくは破壊した、という事件を起こしている。 下手をすれば戦争が起こりかねない、大事件にフォートアリントンはウォンリルグの動きに非常に敏感になっているのだ。 「グレンもか?」 そのような状況であるならば、ウォンリルグの宗家に籍を置く“ラ・ガン”グレン=ヴァンター=ウォンリルグはフォートアリントンにとって特に重要だろう。 だがエイスは、そのリクの質問に答えるのに少し躊躇を見せた。 「……実は、彼は死亡してしまった」 そう答えた後、エイスは続けてリクから受けた傷が原因ではないことを付け足した。死因を調べると、逃亡を防ぐための魔封処理を施す前に発動させていた自殺魔法が原因だったという。 「流石は宗家と言うべきか、捕まって尋問されるとなると、命を捨てることに躊躇いはなかったようだ」 「そうか」 敵とは言え、全力で闘った相手が死んでしまったと聞くとある種の感慨を覚えるのか、リクは複雑な表情を見せる一方、コーダが次の質問をする。 「クーデターに加担していたのはほとんどの開発部員と魔導士団員でやしょう? それが抜けた後の穴埋めはどうするつもりなんスか?」 「それが一番の問題なんだ」 ほとんど溜息まじりに、エイスが答える。 先ほどエイス自身が述べた通り、クーデターに加担したほとんどの開発部員と魔導士団員は捕まってしまい、現在研究所を去ったことになっている。 「魔導士団の方は、魔導学校の生徒からシューハなど実戦経験の多い者達に勤めさせるつもりだ。しかし資質はともかく数や経験の差から戦力はがた落ちになるだろう。ディオスカスが勤めていた魔導士団長には、現在魔導研究所に所属する者でもっとも強いと思われるミルドを挙げてある」 夫の名前が出てきたことに、ティタは驚いて隣のミルドの方を向くと、彼は苦笑して肩をすくめた。ミルドもつい先ほど、この話を聞いたばかりらしい。だからエイスと共に中央ホールに現れたのだ。 強さなら確かに自分のほうが上だが、生徒達をまとめるのはシューハの方が上だとミルドは主張したのだが、エイスはシューハには副団長をさせれば済む話だ、と返したらしい。 「それに、あの時はつい使っちゃいましたけど、僕は魔導士として生きて行くつもりはないんです」 「団長が出て行くような場面はなかなか訪れないだろうから、いざと言う時の強さがあれば普段は魔導士でなくてもよろしい」 ああ言えば、こう返されるといった具合でミルドはほとんど陥落寸前のようだ。 エイスは自分が有利な内にこの話を切り上げるためか、素早く次の話題に入った。 「で、開発部の人材だが……これが如何ともし難い」 魔導士団はほとんどの団員が研究員や開発員が兼任していた事実からも分かる通り、補助的な機関に過ぎず、極端な話、無くても運営に支障は現れない。さらに、ある程度戦えればいいので、人材の穴埋めは簡単なのだが、開発員は事情が百八十度異なる。 研究部、開発部の現在の体勢は長年掛けて築き上げてきたものだ。開発部は分野ごとにノウハウが全く違っているので、いかな秀才と言えども、それらを憶えて使い物になるまでは時間が掛かる。しかも今回の場合、そのノウハウを教えるべき先達がいなくなってしまったのだ。 「私としては何とかフォートアリントンと交渉し、条件を付けてでも開発部の人材を魔導研究所に取り戻せるよう要請するしかないと思っている」 確かにそれしか無いだろうが、フォートアリントンとしては国際犯罪を行おうとした者達を簡単に元の生活に戻すことに納得するわけが無い。 まさしく、その点に関しては前途多難と言えた。 「そういった困難な状況を突破して行くには、全員の力を合わせて行くしかない。こういった状況で相応しいのは仕事に有能な指導者などではない、皆に慕われ、付いて行くことを心から望まれている指導者なのだ」 最後のティタに向けた言葉に、ティタはムキになって否定することは無かった。 ***************************** 「本日貸し切り」と書かれた札が掛けられているドアを潜った際に迎えたのは、あちこちタレのようなものが染み付いた調理服を来て、厳ついながらも人なつこさに溢れた顔のジッターク=フェイシンである。 「へい、まいどぁ〜」 いつもの挨拶に、つい一同はジッタークの頭の頂上から爪の先までを見つめてしまう。 「……? な、何やねん、じろじろ見くさって」 「いや、今のおっちゃんと、医者版のおっちゃんとホンマに同じ人物かと疑うたりして」と、同郷のカーエスが怪訝な顔つきで答える。 魔導医師としてのジッタークは医者としての威厳に溢れ、きりっとした男らしい魅力があったのだが、今はそのへんのどこにでもいる中年男性である。 「放っといてんか」と、返すジッタークの表情も若干諦めが混じっていた。 「よっ」 店の中央に用意されている大きなテーブルに先に着いていたのはシューハだった。 「シューハ先輩、もう来とったんですか」 「いや、俺も今来たトコだ」と、答えるとシューハはカーエスの後ろの面々を一通り見渡して付け加える。「これで全員みたいだな。約束の時間よりちっと早いけど始めっか」 シューハがそう言って視線を送ると、ジッタークは厨房に向かってポンポンと手を叩いて呼び掛けた。すると厨房からは、二人の料理人が、料理を満載したワゴンを押してテーブルにやって来ると、見た目も匂いも美味しそうな料理が次々と並べられて行く。 最後に、それを取り分けるための大皿と小皿、それから、ワインが満たされたグラスが席に着いたリク達の前に配置された。 「じゃ、乾杯は……エイスはん、お願いできまっか?」と、ジッタークが各人にグラスが渡ったことを確認し、エイスに視線を送る。この中で地位が高く、年長なのはエイスなので、彼が乾杯の音頭をとるのは当然の流れだろう。 エイスはひとつ頷いてすっと立ち上がると、全員の視線が彼に集まり、場がしん、と静まった。 「昨日、魔導研究所は一つの転機を向かえた」と、エイスは静かに切り出した。「言うまでも無く昨日のクーデターの事だ。昨夜の内にそのクーデターに加担した者達の簡単な取り調べが行われたのだが、皆が揃って口にしたのは、魔導文明の衰えの事だった」 これ以上の技術の発達がなかなか見込めない状態、そして、研究所は隠してきたのだが、相次ぐ魔石鉱山の閉鎖、それらが重なった現在の状況にクーデターに加担した者達は一様に不安を覚えずにいられなかったらしい。 特に魔石資源の枯渇が、一番の不安だった。魔石が無くなれば、自分達が生み出してきた数々の魔導器は全て無用の長物と化してしまう。そして、魔石が無くなれば古代より受け継がれてきた魔導文明が終わり、エンペルファータはその最先端を行く街としての意義を失うのだ。 やってきたことが全て無駄になり、自分達の存在意義を無くしかねないこの問題は黙ってみているわけには行かなかった、と彼等は語った。 「今まで故・アルムス前所長と私はそれを民衆からは隠し、少数の者だけで解決法を模索していた訳だが、それは大きな間違いだった。このような大きな事件があった以上、その原因となったこの問題は公表しないわけにはいくまい。 公表すれば今まで魔導文明の繁栄が永久のものと信じていた者達には大きな不安を抱えることになるが、目を背けてもこの問題はどこにも逃げて行きはしない。それならば世界をあげて、この問題に立ち向かうべきだろう」 いままでエイスとアルムスが、このことに関して公表しなかったのは、不安に陥った民衆が騒ぎ出しはしないかということを恐れての事だった。 しかし、公表すれば魔力を節約するように呼び掛け、解決策を探す時間を伸ばすことができるし、魔導研究所では無い、どこかの片田舎からひょっこり解決法を見つけるものが出て来るかもしれない。 「無論、そうして方向転換をする切っ掛けを与えられたのも、クーデターにより取り返しのつかない事態になる前に諸君らをはじめとする者達の尽力により、クーデターを鎮圧できたからだ。その点、エンペルファータを代表し、広く深く感謝の意を表したい」 そう言って、エイスはテーブルに着いた面々を見渡し、軽く頭を下げた。 「明日からは、辛く厳しい道のりが待っている。だから、せめて今夜はゆっくりと楽しみ、それを乗り越えてゆける意思と英気を養おう」と、エイスは手に持っていたグラスを目の高さに挙げてみせる。「乾杯」 『乾杯っ!』 「しかし見事に魚尽くしだなぁ」と、生の貝にソースを掛けたものをぺろりと口の中に入れながらリクは言った。 数日前にカーエスがオワナ・サカは海に囲まれている国であるため、オワナ・サカの料理は海の幸が基本だと言っていたが、今テーブルに並んでいる料理がそれを証明している。 前回カーエスが作ったのとよく似た海鮮パスタ数種類を筆頭に、オーソドックスに塩焼きにした大魚、生の切り身を塩と酢でしめたもの、丸のまま衣をつけて揚げた小魚、すり身を生地に包んで蒸したもの等々、魚介類に材料を絞っていながらその種類は豊富である。 「それでいて飽きがこないってのが凄いところだね」と、ティタが満足そうに次の料理を自分の皿に移しながらリクの言葉を次いで言った。 「うむ、見事だ」と、エイスも頷きながら同意する。 「かっかっか、せやろ。まだまだ一杯あるでぇ。カーエスごときの未熟な海鮮パスタだけが西方料理やと思われたら困るからのう、出し惜しみは一切せなんだ」 精一杯料理人としての腕を振るえて満足したのか、腕を組んでジッタークは高笑いをする。 「まだまだおっちゃんには適わんなぁ、さすが歳を食ってる分、経験積んどるだけあるわ」 カーエスは本格的な故郷の料理を嬉しそうに舌鼓を打ちながらも、軽口を返すのを忘れない。タコと海老という歯ごたえのよいもの同士で組み合わせたマリネに手を出そうとすると、向かい側に座っていたシューハと目が合った。 「魔導学校の方はどないです? シューハ先輩」 先のクーデターで魔導学校は生徒達を教えていた教師達の大半を失っている。そんな状況で魔導学校を纏めているのがシューハを中心としたファルガール派と呼ばれ、ディオスカスに排斥されていたグループだ。 魔導学校は実のところ無くても研究所は機能するが、クーデターに加担した教師達がいなくなってしまい、自分達を教えるものがいなくなったこの状況に不安を感じているらしい。 魔導士として育てられている生徒達は、教える者達がいなくなることによって、自分達の成長が中途半端に止まってしまうのでは無いかと、将来を憂えているのだ。 「その気持ちは分からんでもないからな。精々ケツを引っ叩いていってやるさ」 シューハ自身、ファルガールに突然去られ、それからは独力で修行してきた経験がある。そんなシューハはこれから生徒達のいい導き手として最適な人材だろう。 不意に、シューハの視線が自分から逸れ、カーエスの隣に座っている者に移動する。カーエスが振り向くと、そこに座っているのは時々ここに食べに来ていたらしいフィラレスにお薦めの料理を選んでもらっているリクだった。 カーエスとシューハの視線が、自分に集まっているのに気が付くと、リクは食べる手を一旦止めてシューハに視線を返した。 「そういやあんたシューハって言ったな。ひょっとして昔ファル……ファルガール=カーンに魔法を教わったことがあるんじゃないのか?」 いきなりリクの口を付いて出たかつての師の名前に、シューハがぴくりと反応した。 「あれ? 教えとらんかったっけ?」と、隣のカーエスが意外な顔をする。もう何度もリクの前でシューハの名前の口にした記憶があるので、もうファルガール派のことを教えていたのかと思っていたらしい。 「じゃあ、本当なんだな!」と、リクがパッと顔を明るくした。「あのな、ファルに会ったら伝えといてくれって言付かったことがあるんだ」 「先生……が?」 まるで話に付いていけないかのように、シューハはほとんど呆然とリクが話すのを聞いている。 「“仕方ねェ事情があったにしろ、あの時は本当に済まねェ事をした。あれが原因で人生が狂ってなきゃいいんだが”ってさ。あんまり誠意こもってねぇようだけど、ファルの場合……」 「謝ること自体が滅多にないから、謝る時は本当に悪いと思ってるんだろ」 次がれた言葉に、リクは少し驚いたような顔をしてから、にやりと笑う。シューハも釣られるようにして笑った。 「てっきり俺達の事なんか忘れられてるかと……」 「ファルは魔導学校で残したことのなかで一番の気掛かりだって言ってた」 魔導学校で教師をしていたこと自体、ごく最近聞いたことなんだけどな、とリクは付け足しながら、ファルガールから聞いたことを色々語った。 「……先生は元気か?」 「むしろ病気になってるところを見てみたいんだけど」 リクが答えると、シューハがプッと笑い、魔導学校でもいろいろ無茶をしていたファルガールのことを話して聞かせると、リクも旅の間でファルガールにされた仕打ちを話す、といった具合に、共通の話題であるファルガールで二人は大いに盛り上がった。 宴もたけなわとなり、リクが用を足して戻ってくる途中で、同じく用を足すためか、こちらにやってくるティタとすれ違った。 「リク」 すれ違い様に呼ばれた名前に、リクは反射的に振り返った。目が合った時、ティタは微笑んで言った。 「明日、あたしの研究室においで」 意味を図りかねたように、自分を見返すリクに、ティタは付け足す。 「“大いなる魔法”について、あたしが知っていることを教えるから」 |
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